今年4月2日のプロ転向宣言から3カ月。松山英樹が、ついにダンロップスポーツとゴルフ用品使用契約を結んだ。
今季国内ツアーで6戦して2勝。それ以外の試合も、2位が2回に、7位と10位が一度ずつと、全試合でトップ10入り(「日本ゴルフツアー選手権」終了時点)。プロ転向後初のメジャー参戦となった「全米オープン」では、最終日にベストスコアタイの「67」をマークし10位タイに入賞するなど、21歳の若者は、ルーキーとして日本のプロゴルフ史上かつてないほどの実績とインパクトを残している。
松山が高校3年生のときに書いた「ゴルフと私」という作文がある。それによると、ゴルフとの出会いは4歳のとき。ある日、「日本アマ」の出場経験もある父親の練習について行った。「父が一打一打気持ちよさそうにスイングしている姿を見、幼い心は強く引かれていった」。ゴルフに魅せられた少年は、自分の身長より長い父親のドライバーを持ち出すと、自宅前の道で振り回し始める。やがて短く切ったドライバーを与えられると、ゴルフへの情熱はさらに高まった。
小学2年で「四国ジュニア」に初出場。3年後に同大会で初優勝を飾った。翌年には大会連覇を果たしたが、中学に入って初めて挑んだ全国大会では上位選手とのレベルの差を痛感。中学2年で地元・愛媛を離れ、高知にあるゴルフの強豪校・明徳義塾に編入した。
"日本"とつくタイトルを初めて手にしたのは、高校3年で出場した「日本ジュニアゴルフ選手権」(15歳〜17歳の部)。今からわずか4年前のことだ。当時の松山を知るダンロップのスタッフによると、アプローチとパッティングの巧さは同世代で群を抜いていた。ただ、身長は今と同じ180センチあったものの体つきはホッソリしていて、「もう少し飛距離が欲しいよね」と本人と話していたという。
飛距離を武器にする今の松山からは想像がつかないが、体格、飛距離ともに大きくスケールアップするきっかけになったのは、やはり東北福祉大2年で初めて挑んだ2011年のマスターズだろう。その前年、日本で開催された「アジア・アマチュア選手権」で優勝し、日本人アマとして初めてオーガスタの舞台を踏むと、見事予選を突破し27位タイ。ローアマチュアに輝いた。だが、この快挙は、松山の世界への目を大きく見開かせることになった。「飛距離と安定感が欲しくて、とりあえず食べた」という食事面での改善と筋力トレーニングの結果、70キロ台半ばだった体重は80キロを超え、飛距離は確実に伸びた。世界で戦うためには何が必要なのかをゴルフの祭典で悟ったのだ。
新たな戦いをスタートさせた松山は、その年の11月、「三井住友VISA太平洋マスターズ」で、並みいるプロを差し置いてツアー初優勝。ウイニングショットともいうべき最終日18ホールでの第2打は、彼が秘める可能性の大きさを見せつけるものだった。昨年はマスターズに2年連続出場。ローアマチュアこそ逃したが、日本人選手として唯一予選通過を果たした。そして、秋の「ダンロップフェニックストーナメント」で単独2位に入賞。堂々たる実績を引っ提げてプロに転向した。
ジュニアの頃から愛用してきたゆえの愛着と安心感。数々のタイトルや先の全米オープンでのトップ10入りという実績から生まれる信頼。それが、パートナーとしてダンロップを選んだ理由だという。そんな松山の視線の先にあるのは「メジャー制覇」という頂だ。これまでメジャーの予選突破率100%を誇るだけに、初挑戦となる次なるメジャー「全英オープン」でも、いきなり優勝争いを演じてくれるかもしれない。
文/魚住 了(ゴルフライター)