【引退の経緯】
腰の怪我です。これまでの選手生活の中で腰の怪我は何度かありました。しかし去年から頻繁に腰の怪我がでてくるようになりました。今年になってごまかせない状態になり、トレーニング、ケア、病院、サーブのフォーム改善など試みたのですが、高い質でのプレーが困難だと思いました。
そしてやっぱり最後は日本の大会で終わりたいと思い、この時期の引退となりました。最後の試合の日まで、必死に最大限の準備をして練習とトレーニングと治療に励みます。最後まで応援してもらえたら嬉しいです。
【質疑応答】
Q.去年お話を伺ったときには、まだうまくなれるはずと向上心があったと思います。今年に入ってから怪我以外にメンタル的にも厳しかったですか?
A.ランキングは落ちていましたが、心は落ちていなかったと思います。正直腰の怪我がなければあと2年くらいはやっていたと思います。1度ランキングが落ちて、そこから這い上がったこともあるので、また戻れるだろうという自信もありました。ITFの連戦は難しい部分もありましたが、腰の怪我がなければなんとなくもう少しできるかなと思っていました。
Q.競技人生を振り返って、もっとも誇れる部分は?
A.ランキングが300位に落ちた時、引退がよぎることもありましたが、そこから踏ん張り、またツアーで戦えて、諦めずに戦ったことが誇れる部分です。
Q.腰の怪我について、時間がかかっても復帰できないような感じだったのでしょうか?
A.手術の選択肢もありましたが、競技者としてはその選択はおすすめできないということでした。完治が難しく、手術しても他の部分に痛みが出てきてしまうと言われました。腰の治療についてもやれることはやったつもりです。
Q.最後に、日本のファンの皆さんにどういった姿を見せたいですか?
A.どのくらいのプレーができるかわかりませんが、今自分ができるすべてを出してプレーしたいと思います。必死に戦う姿を見てほしいです。
Q.どの試合が思い出に残っていますか?
A.ウィンブルドンベスト16が自分の中では大きいです。子供の頃から目指していた場所ですし、ウィンブルドンでセカンドウィークに残れたことは思い出です。
Q.引退を決めた時期は?
A.引退を決断をしたのは6月頃。4月の遠征直後に、この腰の状態でツアーをまわるのは難しいと感じました。その後少し長めの練習期間を設けて強化を図りました。しかしながら競技レベルで戦うのは難しいと思い、ヨーロッパ遠征のあとに引退を決意しました。一番相談していたのはトレーナーさんと奈良くるみさんです。
⇒奈良くるみプロ
土居選手には、引退に対しての否定はしないで、気持ちは十分わかるので、最後まで悔いのないようにというのは伝えた気がします。
Q.今後テニスと関わりますか?
A.今の時点ではどういう活動をするかは決めていません。日本のテニス界が強くなって欲しい、盛り上げたい、日本の選手たちを応援したいという気持ちはあります。いろいろなことをやらせてもらいながら、自分は何に役に立てるのか考えながらやっていきたいです。
Q.後輩へのアドバイス
A.小さい体でも世界で戦えるし、日本人選手もチャンスはあると思います。
覚悟を持って、自分の夢や目標に向かって挑戦してほしいと思います。
Q.これからテニスをはじめる子どもたちへ
A.テニスの魅力はいろいろな人たちと触れ合えること、対戦できること、対戦すると同じ試合はないですし、テニスのおもしろさを伝えたいです。先日全日本ジュニアのクリニックでは12歳でこんなにうまいんだと驚きました。こんなにテニスがもう完成されているんだと思い、ある意味未来を感じました。どんな選手になるんだろうと考えながらクリニックを行いました。とにかくテニスを楽しんでもらいたいと思います。
【ダンロップに対して】
ジュニアの頃からダンロップラケットとともに戦ってきました。そのラケット共にグランドスラムにも出場できてとても嬉しかったですし、ダンロップラケットで戦えたことが誇りです。ありがとうございました。
土居選手の最後の試合は、「木下グループジャパンオープンテニスチャンピオンシップス」(大阪/WTA250/9月9日から17日予選含む)本戦からWCで出場、「東レパン・パシフィック・オープン」(東京/WTA500/9月23日から10月1日予選含む)予選からWCで出場予定です。ぜひ最後まで、応援よろしくお願いします。
【土居美咲選手プロフィール】
生年月日:1991年4月29日(32歳)
所属:ミキハウス
出身地:千葉県
ラケット:ダンロップ「CX200」
バッグ:ダンロップ(品番:DTC-2180)
WTAランキング:シングルス300位、ダブルス366位(2023年8月21日現在)
自己最高WTAランキング:シングルス30位(2016年10月10日)、ダブルス77位(2021年5月24日)